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高みと極みの本質

市川團十郎作、本邦初演の歌舞伎を観た。

研ぎ澄まされた技で、人の心の本質を表す。

舞台装置、謡い、楽曲、歌舞伎、型を極めた日本伝統芸能の美を見た。

静謐と音声の対比、個々に存在感を持ちながら全体が融合し、ぎりぎりまでそぎ落とされた構成で、本質が浮き出で、極められた技が意識を釘付けにするのだ。

がちゃがちゃと声高にただただ五月蠅いだけの様々なパフォーマンス・パフォーマーには所詮到達できない極み。ひとつひとつの型がきっちりと静止する完璧さを意識し精励刻苦するからこそ、高いレベルのパフォーマンスに近づけるのである。

高み、極みの本質を見た。

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気が利くということ

活気のある職場、気持ちのよい職場、というのがある。その秘密はなんだろう。

自分のやるべきことがわかっている人と一緒に活動するのは楽しい。

そういう人は気が利く。気が利くということは、自分のやるべきことだけをやる、のではない。やるべきことをする、というのは、まずは言われた通りのことができることだが、それはやって当然のこと、だ。状況に応じて、言われていないけれども自分の判断で動いていいのはどこまでかを「察して」行動することである。

気が利く人が多いところには活気があり明るいのだ。自己診断してみよう。

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開業!

新店舗開業!

無料ご奉仕だが、素敵なバーチャルオフィスを貸していただいたのだ。ちょっとすごいことかもしれないと思い始めた。

仕事でつながりができた方々からの依頼を受けてのこと。なんと有り難いことだろう。本当に感謝。期待に応えたいもの。そのために、日々研鑽。そして感覚を研ぎ澄まそう。

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迷信と現実

息抜きに見ている海外ドラマの台詞から。

若い科学者「科学者だって迷信を信じたっていいと思う」

ボス「そのとおりだ。だが迷信と現実を混同してはいけない」

これこそ人間力のある真の科学者の態度だ。論理と業績ばかり振りかざしても人はついてこない。口ばかり賢しくても人はついてこない。突き抜けた才能を気取っていても人はついてこないのだ。

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新しいプロジェクトが忙しい上に腰も痛く、久々に書いている今日。このプロジェクトでは、実にさまざまな人びとが有機的に関わりあって刺激しあいつつ前進をしていると思うのである。腰痛が治まれば、ほぼいうことなしの日々かもしれない。

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こどもたちのデジタルリテラシー

保護者懇談会で、クラスメイトが大集結しているチャットルームの存在を知った。わが子どもが作ったらしいというので、こどもに尋ねると、実際には友だちの一人がそうだったのである。

さっそく、ルールを決めて、親にも見せ、安心させてもらいたいと要望。もちろん、人の悪口を書かないことなど当然だし、使い放題もなし、就寝前2時間はPCを使わないこと、などなど、保護者提案も。

物わかりが早い、きちんとした子どもたちである。早速、学校で話し合い、ルール決めを終えた。

デジタルリテラシーのこと、こどもたちにも伝えよう。

・・・それにしてもスゴイ子どもたちだ。

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宗教と科学の融合

「天使と悪魔」は楽しめた。

楽しめず正しい事実はこうだ!と理屈・講釈を垂れたい向きがきっといるだろうが・・・無粋なことだ。

役者の一人がこういっている。宗教と科学のどちらか一極に触れている者は、相手が間違っていると思ってしまうのだろう、と。そのとおりである。極めてsensible。この中庸感覚でよいと思う。

聖ルカは医者、宗教と科学の融合を象徴する、とは、なかなか良いではないか。

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エンタープライズの秘密

いい仕事をするには、息抜きも必要。家人とエンターテイメント映画へ。

歴史でありニュージェネレーションであるエンタープライズ号を観て、オリジナルの「新しさ」が今も新しいことを感じた。

あのエンタープライズは、21世紀の組織といえる。自立と共鳴と規律のヴィルトゥオーゾたちの組織だった。なるほど、ベトナム戦争と冷戦の時代に、それぞれが優れた能力を持ち、自らの役割をきっちりと果たしつつ、ミッションのため、他人のため、脇役に回ることもできるし、敢えて役割をはみ出すこともできる、さまざまな国籍と人種のクルーから成る明るい希望の組織を象徴していた。

自分の役割の自覚なく、本来の職務は他人に丸投げし、勝手な「趣味」で勤務時間を埋めてカモフラージュしつつ、雇用者も被雇用者も「グレーゾーン」を楯に、やりたい放題を続け、税金を詐取し続けている者たちには、到達し得ない理想だろう。

理想に近づけるのは、常に目的を見据えて物事の善悪と重み付けを考え、誠実に努力する者たちだけだ。こういう者たちは、どこにいても燦めく。

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わが子礼賛

仲の良い学友同士で、顧問を捜し、頼み、新しい部活動を立ち上げたそうだ。たぶん、学校始まって以来、最速かもしれない。なんとすばらしい子どもたちではないか。何部か?答えは、来年の学園祭までとっておこう。

一方、気になるのは、こどもの通学の友である。学校が面白くないそうだ。担任が嫌い、遠い、母親は学校の学習進度が気に入らないい・・・。聞けば、どうやら、子ども自身の選択ではなかったようだ。それでは辛かろう。好きこそものの・・・は真理である。特に、こどもたちには。

自分の周りにあるチャンスやよい校友に目を向けることができたらいいのだが。

その点、わが子は恵まれた。意欲に溢れ、生きることすべてを心底楽しんでいる。有り難いことだ。

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デジタルリテラシーからの学び

それは、インターネットにアクセスし、情報技術の熟達度を上げることのみを意味しない。デジタルの善悪を学ぶことである。

デジタル時代には、親や教師の役割はいっそう重要になる。

デジタル時代には、氾濫する情報を篩にかけ、分析し、加工し、考え創造する能力の必要性がいっそう際だつ。

デジタル時代には、実は学びはいっそう巧く精緻にデザインされなければらないのだ。

そのために必要なものを、追い求める。

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鳴り始めた警鐘

実に小気味よい晩である。

何が大事なことなのか、優先順位もわきまえず、果たすべき役割を果たしもせず、自分の心地がいいことだけを、こそこそやっている者たちに、警鐘を鳴らしてやったのである。

こういう輩が当該の仕事の場にいること自体、間違っている。なぜなら、少なくとも当該の仕事は、その遂行能力を有する人間が遂行するということが大前提になっているからである。

単なるコネのみで能力を不問で雇用し、その大前提を満たしていないこと自体、契約違反だ。年単位で、税金をどぶに捨てた。そして、縮小された規模ではあっても、まだ、捨て続けている。

この警鐘、よその地からの音も集まり、徐々に大きくなるだろう。果たすべき役割をわきまえない限り。

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国立大学と日本の将来

極めて有能なひとからのメッセージを紹介しよう。

一人一人がおかしいことをおかしいといわない体質が、今の日本をつくった要因の1つかもしれません。大学の象牙の塔のヒエラルキーが国立大学の体力を奪っていってると思います。なんとか大学を考えるとういうような場を持ちたいものです。

気の毒に、そのとおりだ。

あちこちで血税をどぶにすてているのに、さらにどぶに捨てようとしているところまで出てきているのだ。しかし、mextさんは無力だ。もっと現場の声を掘り起こし、直接聞けばいいのだ。大学が出す資料の粉飾ぶりには驚かされる。もう国家的詐欺のレベルである。

資格至上主義・教授至上主義を捨てさせればいいのだ。教授に経営はできない。人を見る目がないので、プロジェクトマネジメントすらできない。できたとしても、一握りの真に優秀な教授だけの話。教授というひとくくりで、できる教授を錯覚している迷惑な勘違い教授が溢れかえっている。経営も、財務も、個々のプロジェクトも、全く下らない博士至上・資格主義を捨て、心眼で能力をみて人を選ばなければ、ベストパフォーマンスなどお呼びもつかない。

日本をだめにしている一因は国立大学であることの証人が、ここにいる。ちなみに、民間も私学も国立も見てきた人物の証言であるから、ぬるま湯どっぷりの「学」の人に反論の余地はない。

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水無月の想

今日より水無月。爽やかな月の始まり。

爽やかなプロフェッショナルとして、仕事をする以上、倫理上許されないことは許さない、見逃さない姿勢を貫く。様子見も限界を超えた。

誠実は誠実を呼び、不誠実は不誠実に凝集する。そして爽やかさは誠実に寄り添う。

水無月の良き降雨が、不誠実を駆逐する。

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