« 2009年1月 | トップページ | 2009年3月 »

真相

若くて柔軟で能力ある人たちが、腹をたてている、苦しんでいる、泣いている。

横やりの真相は、虎の威を借る狐が、手柄を独り占めにしたいがため、手の内を明かしたくないためだ。真の能力がない証拠。当然、人望があるはずもない。

ところが、こういう古狐、半古狐が、あちこちで幅をきかせているらしく、さらに古狐、半古狐を見抜けない、別の意味で愚かな者たちが追従し、媚びているらしい。

機能麻痺寸前だと、嘆きの声がこだましている。

だが、真に力ある人はつぶされない。まっとうな人は、自ら恥じるところのないまっとうな集まりを創り出していく、高きを求めて。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

横槍

クライアントのところには、高いレベルの行為に、横槍を入れてくる者がいる。

能力のない者に限って、人の足を引っ張る。

悪いことをやっている者ほど、正々堂々としている者を怖がる。

力のない者に限って、数や地位をかさに着て、偉そうにする。

自分の正しさに迷ったら、このことを考えてみるといい。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

不屈の精神

こどものところに本が届いた。

氷に阻まれ動けなくなったエンデュアランス号を脱出したチーム全員を生還させた、南極探検家シャックルトンの話だ。

2度の南極探検は計画通りに成功しなかったから、彼はアムンゼンやほかの探検家ほど有名ではない。だが、危機に際して発揮したリーダーシップとセンスと行動の的確さは際だち、永遠に光を失わない。

今この時代、こういう人がたくさんいてよく、そしてまたもっと脚光を浴びてよい、と思う。

全員を生きて帰国させる。決意を実行するために知恵と勘と経験と体力を尽くす。誰のために、実際に何をやっているのか。このことこそにもっと注目し、真の英雄を探しだし、称えなければならないはずだ。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

証明

働く人と環境は今、どうあればよいか?

10ヶ月前とほぼ同じ話を改めて聴くチャンスがあった。いろいろな職の経験者として、かなり以前から同じことを考えてきたので、まさにその通りだと過去も思ったのだが、今回繰り返し聴いてみて、、いま関わっている環境の停滞ぶり、実質的にほとんど機能停止状態、危うい見かけ倒しの構図と構造が、極めてくっきりと脳裏に映し出された。その弱い部分がどこか、何に根ざしているのか、課題を可視化でき捕捉できた。

このクローズドサークルつまり「ムラ」環境への「自己同一化」と「没入」はありえない。が、境界の際で関わりようはある。この10ヶ月の間に達した答えである。

10ヶ月。ちょうど出産にかかる期間と同じだ。生命の誕生は、生命を宿す身にとっては簡単なことではない。いくつもの危機を乗り越えなければならない成長の経過があり、未来も予測不能で見通せない。だが、危機を乗り越えたことは生物としての強さの証明である。環境としての生物にとっても、成長の主体としての個体にとっても。

同様に、答えが産み出されるに至る経過を知る者は強く成長する。そういう経過を知らない者、答えを産み出そうとしない者は、薄っぺらく弱く成長しないものだ。そして、そういう経過は、近傍の環境固めにのみ腐心している者には起きえない。ゆえに、強さの証明は起きえない。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

犬も歩けば

犬も歩けば、棒に当たる。M・・・も歩けば、福にあたる、のである。

今日も今日とて、ある携帯ショップの担当者が実に楽しい人だった。ICT技術に通じた、接客業のプロだった。家電量販店やUSJで働いていた経歴があるとのこと。メーカーの電話サービスの担当者がイマイチでだんだんむかむかした後だったので、彼の対応は完璧だった。信頼関係を結ぶのが上手で、接客が天職であろう彼の人柄・資質が鍵なのはもちろんだが、やはりきめ細かく意思疎通のとりやすいダイレクトコミュニケーションはすばらしい。

そのあと、また歩き出し、またまた複数の福にあたった。

複数の企業の方と出会って、それはいろいろとひらめきと発見があった。これもダイレクトコミュニケーションのなせる技。

歩けば福。ありがたい一日であった。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

積極的不選択

しばらく外気を吸ってきた。

いろいろな人にも会い、話をした。その人の生きる姿勢がほのみえる。共感を覚える人、覚えにくい人。一般には人が羨むらしい場所で暮らしているが、薄っぺらな表層のつきあいになんとかついていくことに熱心になり、結局、薄っぺらな価値観に振り回されているらしい人たち。

脳裏に浮かぶ言葉は「積極的不選択」。

ある小説で、おそらく神々の館に迷い込んだ主人公が、とどまらないかと誘われるが、断る場面が浮かぶ。

「ここの生活は、私の精神を養わない」

その感覚が、皮膚の下のリアルな感覚としてよく理解できる。「私の精神を養うもの」の世界にとどまらなければ、どうして生きている実感がもてるだろう。私は精神を養う世界にとどまり続けるつもりだ。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

親近感

新委員さんに、音楽家がいる。夫婦ともプロのプレイヤーだ。

委員の仕事の話をしたら、「父親が出てもいいですか?」とのこと。

もちろん!である。両親がいるなら両親でこどもを支える。こんなすてきなことがほかにあろうか?

私も手伝わせたし、家人も喜んでいた。だって、自分のこどもにかかわることなのだ。遠足の弁当だって作る。こどもの友達にも、たまごやきが評判で、リクエストまで来る。

くだらない「暗黙の了解」に左右されず、こどものために両親でできることを補い合ってやればよいのだ。そんなこの委員さんの快さとご家庭に、親近感を覚えた。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

遵法

漢検協会、どうやらずいぶんなことをやってきたようすだ。文科省は、事態がこの規模、この額に至るまで放置同然だったということであろう。

補助金の適正化法というのがある。

補助金を受ける組織の長は、その補助金の交付目的のために、補助金を公正にしかも効率的に利用する義務があるし、補助事業者は、誠実に補助金を使う義務があることが、法律で定められているのだ。補助金は、国民からの貴重な税金を財源としているからだ、と明記してある。

やたらコンプライアンスが叫ばれて部屋だけはつくられているようだ。が、明らかな研究費の不正流用や不正使用しか対象にしようとしていないのは、部屋をつくった理由や扱う内容の説明をみればすぐにわかる。そんなことで実効性はあるのだろうか? 

優秀な人材を遊ばせておいたり、不適切人材に能力に見合わない不当な高給を払って税金をどぶに捨てていたりする、そんなことが横行しているが、空出張や私的な預金口座にプールすることとどれだけ違う「公正で効率的で誠実な補助金の使用」なのか。これは、遵法なのか?

ジャガイモを放っておいたら、いつの間にか芋じゅうに芽が出ているのに気がついて、おぞましさにぞっとした経験、しまったと思った経験をしたことがある人はそれは大勢いることだろう。その芽は有毒だから、見た目も作用も、ちょっと、恐ろしい。

補助金はまさにこの芋にあたる。補助金まわりの毒の芽は今この瞬間も、あちらこちらで放置されている。

芋は毒の芽を深くえぐってしまえばあとは食べられる。優秀で有能な文科省は、芋が真っ青になって毒が全体に回り貴重な栄養源をだめにしてしまうようなことにならないよう、事態把握にもっと努力し、毒の芽を厳しくえぐる監視と懲罰を強化する必要がある。それには、すべての事業単位の「上層部」から意見を聞いているだけではだめだ。上層部が問題なのだから。現場にアンテナを張り、微弱な、しかしきわめて重要な有意シグナルを検知できないコンプライアンス室そのものが税金の無駄。文科省や関連組織の目安箱も同じこと。なんの意味があるだろう。

小さなことを放置すればいずれ深い傷になる。そしてすでに傷だらけなのだ。水際よりかなり沖で現状をきっちり把握し、まともな補助金の使い方がなされるよう、もっと目を開けてものごとの進捗と人とを観、耳をそばだて、頭を使って工夫すべきだ。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

較正

このごろ丁寧に生活していないことが気になっている。

丁寧な料理、丁寧な洗濯、丁寧な掃除、丁寧なものごとの準備、丁寧な家族との会話・・・

優先順位の乱れ。時刻を合わせるように、標準物質に合わせて機械を調整するように、生活のちょっとしたぶれをときどき修正する必要がある。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

憩い

まったりゆったり自分の好きな世界にとことん浸れる日は最高だ。自分が再生する。

out of dateきわまりないのだが、家人がリクエストに応えて借りてきてくれた「北京ヴァイオリン」を観て、音楽と涙と笑いが心をすっかり潤してくれ、こころの精油がまた一滴、重力に耐えかね、染みいで、目の前でまたいつのまにか膨れあがり、見事な涙滴をつくった。

春は、遠からず。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

起源

学校は新しい委員えらびの時期だ。

苦労するパターンが一般的に多いのだが、わがこどもの学校はちょっと違っっている。

温かい家庭が多いと、校区も学校のなかも、空気が違う、のだ。

ささいなことが数多く集まれば、大きな違いになるということだ。この学校のすばらしさの起源はまずそれぞれの家族にある。私立のようにある程度の均一集団だというわけではない。ふつうの公立学校だ。

こういうことも委員をやってみてわかること。委員になれば仕事は増えるにはちがいない。だが人間的に優れた人々と出会えることが多いのは確かな事実だ。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

分かれ道

今、さまざまな人々が分かれ道にさしかかっている。

こどもたちは、期待と不安を胸に抱きつつ新しい世界を覗き見にでかける。とくに私の知るこどもたちは、行政上の都合から、ふたつに分かれざるを得ないのだ。そして自ら別の土地に赴くこどもたちもいる。

だがここのこどもたちの絆は強い。これほど毎日幸せで楽しそうなこどもたちは近隣では類をみない。分かれ道に踏み出し、離れても時間がたってもおそらく彼らのこころは、「あの教室」に戻っていくことだろう。

一方ある種のおとなたちは互いの好都合のぶんどりに余念がない。人のためになる慰留と、刷新の機会を逸した慰留が錯綜し、もつれるだけで、結局澱は泥水の底に沈み落ちていき、酸素は奪われ窒息の未来が待っていそうだ。

もっとも、どんな泥流だろうと砂礫瓦礫がごろごろしていようと、光を放ち続ける砂金のごとき独立不羈の人は、泥水のなかでの窒息などには縁がない。

砂金の人は、拠って立ついつでも戻れる場所をもっているのだ。どんなに遠く分かれ道うぃ歩んでも、確固とした幸福な起点は揺るがない。こういう起点を持つ人はきらきらと本物の落ち着いた輝きを放ち続ける砂金になる。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

愉快

オープンで頭の柔らかい人たちと話すのは愉快だ。

とある会社の会長さんと社長さんはいつ会って話しても話の種に尽きない。実におもしろい親子である。二人とも技術者だが、特に会長さんはしゃべるしゃべる。

社会貢献活動に熱心で、今日もいろいろな話をするなかで、すてきな未来の種があり、それは盛り上がった。

こういう方々と刺激しあえる関係は貴重このうえない。有り難いこと。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

疑問

ふと目にとまった情報が、博士号をとって5年未満くらいの者、企業と共同研究をして社会的スキルをつけさせて就職させるから寄っといで、と言っている。

これには、首をかしげてしまうのである。

研究ばかりしていたから30歳近くなっても社会常識を身につけていませんので、就職できないんですよね、だから国がお助けします、というのだろうか。

どこかおかしくはないだろうか? そもそも二十歳もすぎて、年齢を考えたなら、社会的に自分がどうか?と自己認識努力をせずに30近くまで過ごしたということ自体、おかしい。次に、大学教員は「社会人」だろう。その下で指導を受け、研究していてなぜ、社会常識が身につかないのか。社会常識(視野の広さも含めて)が身についてない博士を出している大学教員そのものの社会的資質が問われるべきだ。

一方、就活のアドバイスも耳にするのだが、挨拶をしっかりとか笑顔でとか、本来、小学校くらいでしっかり身についているはずの社会常識をアドバイスしているのだ。大学生にもなってまだ身についていないというわけだ。

しっかり指導のできる社会に通用する教員がいかに少ないかがわかるというものだ。教え方すら学ばない教員も多い。少子化なのだ、教員は選りすぐりだけいればよいのである。変化について行けない教員は所詮は無能だということだ。この環境、まるごと認識が甘すぎる。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

公務員改革

これは断然進めるべきだ。

実際の能力を測れない人事採用試験など無意味であるし、人を見る眼力も能力もない者がいくら面接などやってもこれもまた無意味で、政治家(言い換えれば有力者)による情実人事、恣意的処分の蔓延ぶりといったら、それはひどいものだ。

公務員でなくなったところもあるようだが、実情はなんら変わりない。改革に抵抗するのは無能力である証、と心得るがいいのだ。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

蘇生

数日前、PCがいかれた!

と思って、メーカーのテクニカルサービスに電話して、可能性のある原因をきき、パーツ在庫の確認を待っている間に、念のため立ち上げてみると・・・

見事に立ち上がった。

おかしなことに今日はなぜか、レクイエム~ハイドン~モーツァルト~アマデウスと、レクイエムを経巡った一日だったのだ。それがまあ、最後に「蘇生」で締めくくられることになろうとは。

いや、本当に、何もやっても立ち上がってくれなかったのだ。液晶画面は真っ暗で、起動音もしゅんと沈黙してしまったのだ。予想だにしていなかった「蘇生」は、なかなかに嬉しくさせることではあった。もう少しの間、元気で働いてほしい、苦しい時も一緒に過ごし小さな喜びも記録してきたPCだから。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

« 2009年1月 | トップページ | 2009年3月 »