楽しみな学び
日付が改まった今日、学びの場にいく。学びのコンテンツも、そこに集まる人たちがどんな人びとなのかも、楽しみだ。いろんな人がいるといい。
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人文哲学系のひととICTをどう使おう?という話をしたところ、以前は「便利そう」としか思っていなかったが、今日は「前向き」の「今」を感じる、使ってみたいと強く心を動かされたという応答が返ってきた。
彼とはアポイント設定することがそもそも一苦労だったので、ひとしお嬉しかった。この月内に会え、時間上も内容上も区切りがついた。
1人ずつ対応しているのかときかれた。直接会って話して初めて出てくることがたくさんある。相手が1万人もいたのではとてもできっこないが。
ICTを勧めながらもダイレクトコミュニケーションがいかに大切かを語った日。大切なのはコミュニケーション・ミックスなのだ。
ただ間違えないでもらいたい。漫然と雑談しても肝心なことは残らない。本質から離れることなく、構造化した聴き方ができるかどうかが分かれめだ。
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今しばらく、宙ぶらりんな状態が続く。自分に関係することだけれど自分でコントロールできない状態というのは、実に落ち着かないものだ。次のことを考えると、じりじりしてくるのだ。
とにかく次に進みたいわけだ。
もっとも、そのためにやるべきことの山積具合といったら、登っても登っても頂上が遠ざかるよう、ではある。
しばし忘れていた(というか、手をつけることができなかった)あることを、今年中に必ず結着させる。そうこうするうちに、tantalizingな状態も確実に結着、否が応でも次に進むことになる。
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ある分野を学習。4年ほどまえに、あるものごとの定義が変わった。私が以前知っている「それ」とは違って、実に魅力的な定義に変わったのである。思わず膝を打った。
極めて読みにくい「こむつかしく」書いてあるテキストを読み進めていると、眠気と退屈を感じる苦痛な章と心動かす章に、くっきりはっきりと分かれた。
それで、方向性を確認。迷わず自分の道をゆく。ますます面白くなりそうだ。
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昨日、思いがけなくある人に会ったことで、「キャパシティ・ビルディング」が可視化できた。
直に「こういうことです」とレクチャーを受けたわけではない。その人とその関係者が行っている活動と、その場での彼の発言から、いきなりすとんと腑に落ちた。
私的キャパシティ・ビルディングが進んだことへの認識も新ただ。
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マイクル・クライトンが暫く前に亡くなった。彼の死が、間接的に、自分が何に価値を見いだしているのか、今再考せよといっている。
クライトンの小説に登場するある2人にとても似た関係にあるひとがいる。このひとはこの偉大なストーリーテラーを直接知っていたし、彼の死を悼み寂しく思っている。だがこうもいう。
「臆病者は何度も死ぬというが、勇敢な死は一度きり。彼は確かに勇敢に作品を書き残し、天寿を全うした。彼は伝説を残し、忘れられることはない。わたしたちも、願わくばそうあれれば」と。このひとは、クライトンがいなくても、小説中の人物のようでありつづけねばと感じている。
このひとのミッションは実に険しく困難だ。それに挑み続けるプロフェッショナリティに触れ、こころがざわめきたったことをこの上ない幸運だと思う。もっとも私の軌道はしばし別の方向に逸れていざるを得ないのではある。
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ふぇるじなんどのおかあさんは、牛買いの目に止まりたくて、お互いに角を振り立てて目立とうとしている他の牛たちとは独り離れて、こるくの木の下に一日じゅう座っているふぇるじなんどを、一旦は心配した。でも、息子の答えをきくとそっとしておいた。
「うしとはいえ、もののわかったおかあさんでしたから」。
ふぇるじなんどのおかあさんの泰然とした態度は、親がもつべき大事な資質だ。
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外出中に昼食のためときどきたち寄るカフェがある。
今日もそんな日。
広くなった店内は、女性グループで埋め尽くされていた。近所の学校のPTAグループがいくつかとおぼしい。店の前にはままちゃり、自転車がずらり。
そんなグループが居る大テーブルの一番すみに座ったところ、少し後から、やはり一人の女性が、正面の席に。なかなかにすてきにおしゃれな、決まっている女性だ。
「流行ってるのね~、すごいわね~」と話しかけてこられたのをきっかけに、たわいもない、カフェの話を、食事しながらしばらくの間。珍しい、ちょっと楽しくなったランチタイムになったのであった。
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集中力と注意力を要求される一日。本当に疲れた!
仕上がりは今ひとつだ。喜べない。たとえ関係者がよしとしても。
ひとつのマイルストーンだ。努力を続けるしかあるまい。
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ある場所で、ネガティブスパイラルを断てない訳を考えてみる。
1.完璧なる縦割り世界。縦割り幼稚園は優れたひとの根っこをつくる優れたしくみだ。だが、大人の職種・部署の縦割りときたら、幼稚園児に恥ずかしいこと極まりない。
2.新しいことを発想しない・実行しない横並び思考様式が支配・蔓延。
3.一生安泰な上層組。もちろん現状維持でかまわないから自分のことだけ考える。
4.少し下の終身雇用組。四流組織だろうが上の層にゆければそれでよし。あるいは、四流組織に一生いるより、あわよくば外に出たいので、現状を変えることより自分の成果だけを考える。逆に、やる気が失せて抜け殻になる。
5.非終身雇用組。能力にふさわしい報酬も権限もチャンスもないので、最初から適当に付き合うだけにするか、やはりやる気が失せる。
6.ゆえに、有能な者ほど早々に見限って去る。
7.一方、ブランド信仰が根強く過去に生きる層がますます厚くなっている社会はその四流組織を依然として支える。信奉者、あるいは信奉者に加工されていくローマテリアルの供給は絶えることがない。
8.ブランド信仰者にブランドラベルが押印され、組織を正規継承する。
9.Go to Step 3・・・
さて、この中でどうしたいか。自ら考えることなく自分の安泰のみをむさぼる仲間に入るのか、自らに恥じることがないように高みを求めてしっかり立ち、仲間をつくり良き方向へとことを動かしていくのか。答えは、こころの底深くにおかれた鏡に映った自分を、醜いと思うかどうかに照らして自らに誠実になって出すしかない。
ブランドにあぐらをかいているうちに、意欲溢れるひとがいきいきと働く同業者が、確実に力をつけていくことだろう。内部の人間が変わるしかないのだ。
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アメリカではないが選挙が続く。ある組織、ある土地でも、首長選挙である。
どんな組織でも、どんな選挙でも、自分の判断で、人間力を基準に選ぼう。
これからの組織、ひとりひとりの人間力が物を言う。リーダーの人間力はやはり大きい。リーダーの地盤の大きさは、今の時代、当てにはならない。どんな地震で亀裂がはいるかもしれないのだから。それに地盤とはなんだろう?世界をどこまで広く見ることができるかによって地盤は変わるし、今必要とされていることを心の眼で見抜く能力によってよい地盤を創れるほうが、今の時代、「過去の安定」より、よほど有益だ。
その人をしっかりと自分の目で見て、自分で判断して選ぶ。公正に生きている人は、公正な人を惹きつける。公正な人は、自分の判断を信じることができるはず。
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心を決めることを妨げるもの:不安。思いこみ、信念体系。自分にはできないという思い。うつ状態。情報不足で決められない状態、あるいは、優柔不断な性格。
これらはすべて自らの内側にある。そして外側に、経済的状態、文化・人種、サポートやシステムなどが立ちはだかることがある。
そんなバリアがあると、決められない。だから、引き延ばす。他人のいいなりになる。運命に任せる。弱気になる。
心を決めるときには、直感に従う。よく吟味しないで衝動にまかせる。苦悩する。しかし最善は計画を立て合理的に心を決められることだろう、事実と空想のバランスをとりながら。
リスクを負いつつ心を決める。リスクは見ず、自らの希望する結果にだけエネルギーを注ぐ。一番安全なものを選ぶ。リスクは負わない(で事を余計に悪化させたりもする)。リスクと希望する結果のバランスを考えてベストチョイスと思われるものに決める。
変化は自ら選び取るもの。そういう人はリスクテイキングも辞さないだろう。成功すれば、自信がしっかりと形をとりはじめ、決断は速やかになっていくだろう。こころの声は科学システムでは説明できない囁きをすることがある。直感に注意深くなり、こころの声に耳を澄ませて、一見合理的でない決め方をしても、よいのである。合理的であれ、科学的であれという呪縛は、人生の楽しみを実は奪っているのかもしれないのだ。
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心の決めかたには4パターンがある。
ファクターは自分と環境。
I:自分がわかっていて環境がわかっていない人は、直感に従う。
D:自分がわかっていなくて環境がわかっている人は、周囲に従い依存する。
C:自分も環境も分かっていない人は、混乱する。
P:自分も環境も分かっている人は、計画的に心を決める。(Cn)
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「美味しい!」を家人と何回を連発しただろう?
ふらっと家人と入ったカフェ。感じのいい若いオーナーが作る自家焙煎の珈琲と焼き菓子が絶品、絶妙の取り合わせだったのだ。カプチーノの濃厚でクリーミーなしっかりホイップされたミルク。ボサノヴァ系の曲が流れ、しばらくゆったり本を読めた。
帰りがけ、豆の棚を見ると、ひつじ雲、茜いろ、ありがとう、などなど、オリジナルブレンドの豆に素敵な名前がついている。
コクと苦みにウェイトがある珈琲。北ドイツにある、とあるローカルなホテルの朝の珈琲以来の美味。いいものに出合った。
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花の匂いといえば、悪い悪いおおブタと仲良くなる「3匹のかわいいオオカミ」だ。
現代的ワルのおおブタ、今日的なドライなかあさんオオカミ、なによりお茶がだいすきな仲良し兄弟オオカミ。
楽しくて、風刺がピリっと効いていて、ホッとあったかくなる。クリスマスのジンジャーブレッドまたはグリューワインみたいなお話なのだ。
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ただただ花の匂いをかいでいるのが好きな牛、ふぇるじなんどが、われもわれもという他の牛たちをさしおいて、闘牛場に連れて行かれることになる。
スペイン内戦中に出版されたため、政治的に色々と取りざたされたという「はなのすきなうし」。
ふぇるじなんどは花の匂いをかいでいるだけ。著者いわく「ふぇるじなんどが花の匂いをかいでたたかわないのは、良い趣味をもち、またすぐれた個性にめぐまれたからです」
来年は変革の丑年になる。闘わないわけにはいかないだろう。でも、こるくの木の下のふぇるじなんどのシルエットはさりげなく伝えている、大切なことを。
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ベルリンフィル創立125周年。
新聞の音楽評論家はドイツ的響きといっているが、コスモポリタンな響きだと個人的には思っている。
世界中からヴィルトゥオーゾが集まっている。あれだけの人数がいるのに、ワンパート1音にきこえるオーケストラは他にない。
ウィーンとも違う。アメリカのオケとも違う。どう考えても、コスモポリタンな響きだ。さまざまな文化の違いを超えて、至高の美を奏でる夢のオーケストラなのである。
ベルリンのドイツ的響きを実感するのは、楽団員が個々につくって活動する室内楽団だ。
最高のプロ意識で創造される音楽にインスパイアされ続ける。
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国の無駄遣いは1253億だという。ここから視野を税金の使途全体に広げて見たならば、実態はこんなものですむはずが到底ない。
なぜそう思うのか。勤務時間の大半を世間話・自分の昔話・人のうわさ話・陰口に費やし、プロ意識・職業倫理のない輩に囲まれているからである。税金が財源である給与は、現職の遂行能力とは無関係に年齢だけで計算され支払われている。無駄遣いも甚だしい。有能な若い人間が困窮しているというのに。
当人たちの怠慢分が無駄であるのに加えて、同じ職場にいるまっとうな仕事に精励している人間の業務妨害、生産性の著しい低下(無駄口がうるさく集中を妨害するから)、意欲減退(真剣に努力していることに対する正当な評価と見返りがないから)による無駄といったら、どれほどの損失になることか!
雇用がどんどん減り社会不安が急激に悪化しそうな今、どんな倫理感の欠如もその結果も、白日の下に曝し、不正に甘い汁を吸う輩を断ち、ネガティブスパイラルを逆転させるしくみが必要だ。そのためには、今そこここにある過去の不正を洗い出さなくてはならない。
びくつく輩はびくつきながら首を洗っておけばよい。正直に生きている人は微動もしない。
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海の向こうの大国で、少数派の若い候補が大勝。Hooo-reeeyyy!
変革、変革、変革あるのみ。
予測できる未来を謳歌した人びとは、先輩風を吹かしている限り、邪魔であり必要とされていない。そのことをしっかりわきまえよ。自ら去れば華、居座れば醜悪。
線形関数時代人の時代は終わった!終わらせることができる!
このマイルストーンを機に景色が変わっていくだろう。目覚めよ、非線形関数時代のひと。
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評価は好きですか?
よっぽど自信のある人以外、評価は誰でもあまり好きではないというのが本音では。
仕事の評価は、よっぽどできる場合にexcellent、よっぽどヒドイ場合にvery bad、そのほかはgoodくらいのざっくり評価とすると、評価でやる気を削がずにすみ、短期的承認となり、しかし長期的承認としても妥当な結果につながるという。
そして、よほどつぶさに観察できる相手以外、ひとの評価は難しい。だから、個別の評判が集まった「評判」に注目するとよいということだ。すべてのステークホルダーからの情報を集めてこそできること。「仲良し内閣」ではダメである。
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ガーデンズ。(こんなものを造っていたわけだ)
○○限定に弱いことを発見。
ショッピングは人間の根源的な渇望を満たさない(であろう)。
街の変貌。(よい影響になるように)
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いまだに、なんでもかでも合理的・論理的なのが最高だと思っているらしき言動をする人がいるのだが、安全しか頭にないので最高に「つまらなく」退屈でおもしろみがない。論理的といっても、いつも後付けの理屈の域をでない。ということは、新しい物事に自ら果敢に立ち向かったことなどないのだろう。内面世界の狭さ、つまらなさがことばの端々から漂い出す。一次関数の単調さ。
物事を決めるのにも、合理的に選択肢と結果を予測して、メリットデメリットを秤にかけて・・・望ましいものを選択する、という決め方がある。これまでもてはやされてきた主流の決め方。
ところが、えてしてそうした決定は「つまらない」。ワクワク感や夢がない。予測不可能なことがおこれば、あっという間にメリットデメリットの比較は無駄になる。
一次関数的な考え方はもはや過去の遺物。化石はもういい。曲率が変わる高次関数のほうが予想がつかなくて面白い。「現実にはあり得ない」虚数を楽しみたい。自分にとって魅力的な選択を。
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スーパードライの生みの親が亡くなった。素人の強さで、コクとキレを併せ持つなど不可能と技術者が抵抗しても実現させたそうである。現場を大事にし、不可能を可能にしたそうだ。
「できない」「自分の仕事ではない」「(言い訳をして)むり」「自分にはわからない」・・・わが日常は、こういう雑音に満ちている。
やろうともせずしてできるわけがないだろう。求めずして得られるはずがないだろう。
こういうのに限って、何もご存じない世間さまには立派と奉られている。あるレッテルさえつけていれば自分で判断も行動もできなくても不問になってしまう日本社会は、実に嘆かわしい。レッテル崇拝社会でやってきて、今、どうなっていることか。
日本の実体をしっかりと肉付けして造っているのは、ご立派なレッテルがなくても頭を使って体を張って生きている普通の人びとだ。レッテルなどなくても、その能力と才覚、人格の高潔さ・誠実さで遙かに優る普通の人びとは星の数ほどいる。だから日本に実体がある。
レールにのっかってきたあげく、とにかくできない、できないの垂れ流しには辟易する。やってみたけれどできなかったと言えないのか。何ごとであれ不可能を可能にした人は、どうしたらできるかと努力したからできたのだ。
レッテルなし、強力なバックなし。だが、誰に知られずとも手を抜けば自分にわかるから誠実に努力する。手抜きがばれそうになっておたおたするレッテル崇拝主義者とは、人間の格も大きさも質も、根源的に異なるのだ。敬意はこうした人びとに向けられるべきである。看板ではなく中身を見よ。
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魔物の跳梁する夜を抜けると、光が照らす時期がくる。きらきらしたこどもたちと、いつも磨きをかけてこどもたちに影響力をおよぼしているおとなたちに敬意を表す。
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